津波は今、あなたを襲う。あなたの選択を聞かせてくれ

今日は、被災地である地元までドライブした。

久しく見ていなかった故郷は、土地の整備が進められ、景観が多少変わっていた。

IMG_3466[1]

しかしながら、写真の通り「復興」と言えるにはまだまだ先は長そうだ。

この土地と共に育った自分は、この土地の再興と、自分の成長とが、重なる部分がある。

高台から眺めながら、お前よりも早く、先に進んでいくからな!と誓い、拳を固めた。

 

かつて自分は、この被災地の役所に勤め、震災当日も津波に追われながら逃げ延びた。

祖母と父と兄は、残念ながらこの海に流されてしまった。

生き残った自分は運が良かったとしか言い様がない。

 

津波を知らない読者は、この震災という経験をどう捉えるだろうか。

単に「数百年に1度の大津波・大地震」か。

それとも、世界の実相あるいはカオスの氾濫と捉えるか。

 

もし前者であるならば、あなたはこれからの人生、「運よく生きる」かもしれないし、「運悪く命を落とす」ことだろう。

かつての自分はそうだった。

 

自分は生涯、後者であると誓った。

それは、世界のありのままを見つめるということ、つまり標準偏差±3σの向こう側の世界と、目をそらさずに向き合うということだ。

 

自分は、刻々と様相を変える切実な世界に対し、選択から逃げず、自己と他者に対し、誠実に向き合う人生を選んだ。

屹立とした己の存在を、世界へ打ち付ける。

人生とは、「己」という渾身のシステムによって、世界の一片を穿つための戦いだ

そう心に決めた。

 

そんな自分のもとへ、「津波」はいつでも、どこへでもやってくる。

山でも、平原でも、マーケットでも・・・

比喩としての津波は、いつでも、どこでも、私たちを襲う。

 

ある日波にのまれ、「運が悪かったな」などと言って人生を終えられるだろうか?

少しでも気持ちに動揺があるならば、それはあなたの心が「戦え」と囁いているのだ。

 

戦え!

 

その手で、自分の力で得たいものを掴むんだ。

灯した情熱に自分の存在を余すところなく注ぎ込んだならば、たとえ世紀の大津波が来ようと問題じゃない。

津波に、情熱の灯を消すことはできない。

 

生涯を賭け、共に死にものぐるいで戦い抜いてやろうじゃないか。

同胞よ。

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