トレードを異分野の表現者から学ぶ~小林秀雄編1~

ここ数日、物販の作業をしながら聞いている小林秀雄のスピーチ。

「個性」についての鋭い考察が語られている。

大学時代、なけなしの金をはたいてCDを買い、これらのスピーチを聞いていた。

懐かしくも、改めて聴くと身体への響き方が、かなり変わってきていることに気付く。

 

このブログを読まれている方の多くは理系であると思うので、簡単に解説を。

 

小林秀雄は日本近代批評の母。

「批評家」という存在を確立した人物だ。

 

小林の作品は様々あるが、難解で読むことすら苦労する作品もかなり多い。

50代前後の読者は、大学受験の際に小林の批評文と戦われた記憶もあるのではないだろうか。

 

小林の批評文が相手をしたのは、いずれも稀代の表現者達だ。

・アルチュル・ランボー(フランスの詩人。誰に語らせても異論の無い天才。)

・アマデウス・モーツァルト(御存じ作曲家。)

・フィンセント・ファン・ゴッホ(日本でとりわけ注目される、オランダの画家。)

・・・など、批評対象がことごとく天才。

それは、批評家と批評対象というのは、表現者として同じ強さの波長でなければならない事を意味しているように思う。

 

さて、前述の動画では、「個性とは、他者との差異ではない。自己批判の末に見出すものだ。」と言っている。

自己と戯れているのか、それとも自己と戦っているのか、そこが価値の判断基準だ。」と。

 

自分はサラリーマンとしての生きることができず、やりたいことで食うべくトレーダーの道を歩み始めた。

トレーダーとしての個性の発露は、いつ、どの瞬間に現れるものだろうか。

 

あらかじめ言っておくが、トレードモデルの構築は相場環境に最適化するものであるから、はじめから個性うんぬん言うのはもちろんお門違いである。

マーケットのルールを知り、商品の仕組みを知り、時節のイベントを知り、参加者の事情を知り・・・

個性を語る前に学ぶべきものは山ほどある。

 

個人的な感覚で言えば、トレード(モデル構築)でうまくいかない期間が続いたとき、あるいは大きな失敗を経験した時に、「戯れ」か「戦い」かの違いが、明確に表れるだろう。

人生の貴重な時間を捧げ、なけなしのカネを、自分が信じるものへ賭けるのだ。

失敗が続き低迷した時、もはや戯れている場合ではないだろう。

トレードとは違う道を歩むか、それとも歯を食いしばってもう一歩を踏み出すのか、選択を強いられることになる。

その選択の違いは決定的なものだ。

「戯れ」と「戦い」。

同じトレードをしていながら、全く異質な取り組みである。

 

人生をかけて構築したトレードモデルが、マーケットを前に打ち砕かれ、食べ物も喉を通らなくなる瞬間を、トレーダーならば誰しも味わうだろう。

その時自分はどうするか。

震える足で一歩を踏み出すなら、そこが「戯れ」と「戦い」の境界線。

個性が発露する領域に、やっと足を踏み入れたといえるだろう。

 

本当に自己存在をぶつけられるものであるならば、境界線を跨ぐのに躊躇はしない。

たとえ少々の苦痛があろうと、その境界線の向こう側にのみ、私の自己表現は許されているのだから。

 

コメントを残す

*

サブコンテンツ

今月の更新

2018年6月
« 4月    
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  

このページの先頭へ